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沼津藩の支配

★左:幕末の五泉地方は、文政13年(1830)に当時老中であった沼津藩水野家の支配となります。

沼津領五泉は表高約1万1千石でした。沼津藩の支配は41年間続きました。その後土堀村は慶応4年7月(1868)に沼津藩から改称した菊間藩、そして村松藩へ移管し、廃藩置県(1871)を迎えました。

この水野家領地土堀の動きを坂田家の庄屋常右衛門は、文政13年から明治3年までの記録として「沼津領諸用一覧帳」(「五泉市史」掲載)という貴重な綴りを残しています。

 

★右:綴りでは、戊辰戦争において慶応4年8月4日、坂田家に新政府軍が小休したことが記載されています。

この日、村松城が落城します。知らせを聞き、常右衛門は四ッ屋境まで走り「相違も無之、大焼火ニ付、其段認メ」と、村松の城が燃えた事を目撃しています。

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国登録有形文化財2011年1月指定

江戸時代、幕末の五泉地域は、静岡県にあった沼津藩水野家の飛び地として支配されていました。坂田家がある土堀村は88石、隣の四ッ屋新村は148石の小さな集落でした。坂田家は、この地で庄屋として歴史を歩み、貴重な古文書を多く残しています。

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